よくレッスンで「そんな声を張らないで、力まないで、声を押すな、前に出しすぎ」などのアドバイスを指導者からもらうことがあると思います。オペラを歌いの私の経験談を書くと、このようなワードは日本でも海外でもよくでます。特に現場や劇場で歌っている一流の歌手たちと声を押さないことにとても注意をはらっています。しかし、このような指導をされるかたの多くは喋っている声、歌声も基本的に大きいです。あの立派な声をまじかで聞くと同じように出そうと思うのですが、同じようにだすと「大きすぎる、もっと小さく」など言われます。このようなことを経験してきて考えることは、声の基礎体力が違いすぎるということです。エンジンの大きさが違いすぎて、小さいエンジンの日本人が大きなエンジンの人を真似しても頑張りすぎてしまうということでしょう。
そうすると、発想がより響く声にというように、共鳴へと進んでいきます。イタリアのベルカント唱法も本来、ヨーロッパでは体の小さなイタリアの人々が大きな体格の人々よりも声を飛ばすために生まれてきた歌唱法です。オペラや声楽というよりも、身体的なハンディキャップを補うために生まれてきました。そんなイタリア人の歌手たちも日本人の比べると、基本的に声が大きいです。あの声がハンディキャップというならば、日本人に勝ち目はありません。
それならば、基礎体力をあげることを考えるのも方法の一つでしょう。それは、ある程度以上の声量をもつことです。共鳴はいずれ絶対にトレーニングで各共鳴腔を力まずに響かせることを覚えなければいけません。しかし、その前にある一定以上の声量をもつことも必要です。この感覚は日本の中にいては、なかなか気づけない感覚だと思います。(♭Σ)