ピアノなどの器楽曲の楽譜に、cantabile(カンタービレ=歌うように)という指示がよく見られます。楽器なのに歌うとはどういうことでしょうか?
雅楽の楽譜を見てみると、面白いことが分かります。雅楽は器楽のみの合奏曲で歌のパートはありません。なのに歌詞が書かれています。むしろそれ以外の情報はあまり書かれていません。
次に記すのは「越天楽(えてんらく)」という最も有名な雅楽曲の、篳篥(ひちりき)パートの冒頭です。
チラロルロ タアルラア
これは唱歌(しょうが)といって、メロディを覚える際に口ずさむ歌詞です。
実際のメロディはレーミーシーラシ
ミーミレミーミですが、譜面にメロディについての情報(音の高さや長さ)は一切書かれておらず、譜面にあるのは唱歌と篳篥の指使い、あとは太鼓の鳴るタイミングのみです。要は楽器を練習する前にメロディは口ずさんで覚えてしまいなさい、ということです。
次に篳篥で稽古する段になると、必ず先生に「唱歌を吟じるように吹け」と言われます。まさにカンタービレです。
面白いことに、ほぼ同じメロディを奏でる龍笛の為の唱歌は歌詞が違って、冒頭はトラロルロとなっています。
やわらかで開放的な音を奏でるフエ系楽器の龍笛ではオの母音で始まり、鋭く指向性の強い音を奏でるダブルリード系楽器の篳篥ではイ母音で始まるわけです。ただメロディを学習するための適当な歌詞ではなく、楽器に合った音色までが体感できる仕様に驚かされます。
私は楽器パートに実際には演奏しない歌詞がついている音楽形態を、雅楽以外に知りません。しかし優れたピアニストが適当な歌詞で歌いながら練習している姿は時折見かけます。
音楽の原点は人間の声だと感じられるお話です。