ヴォイトレレッスンの日々  

ヴォイトレに関わっている方とブレスヴォイストレーニング研究所のトレーナー、スタッフの毎日をとりあげていきます。

メニュという型

メニュとは、一つの型ですから、繰り返して、何かを身につけていくために使います。そこには元より説明できるものは、さほどありません。ノウハウとしてのメニュをたくさん集めても仕方ないでしょう。一つの型を材料としてどれだけ使えるか、そのために判断力を高める基準づくりに重点をおきましょう。

 多くの人が期待しているような、絶対に正しい方法や、魔法のような万能のメニュはないのです。あるとしたら、心身を目一杯使って元気に取り組むということでしょうか。

 自己表現の結実である歌でさえ、一つの型の表れにすぎないといえなくもありません。型に人は惹かれ、ファンは魅了されるのですが、その型を忘れさせるレベルを目指して欲しいものです。

 私の示す、わけのわからないものにどう対処するか、どう対処できる能力をつけていくのか、でしょう。その力を養うのが、実践に通用するレッスンです。そこでしぜんにこなせていれば、こなせるようになっていけばよいのです。

 そんな疑問ばかり出る人は、うまくいかないものです。出し尽くして忘れましょう。考えてはいけないのです。考えてしまうなら考えましょう。これは、そのためのアドバイスです。思うように歌えないことが多いのです。レッスンでは、疑うことよりもイメージを大きくすることです。

 誰にもできないのではありません。誰でもできるのがメニュです。しかし、できたようでいても、できる人からみたら、まだまだできていないのです。ふしぜんなままなのです。

正しいレッスン

いつも正しいレッスンをしようと心がけていますが、正しいレッスンとはいったい何でしょうか。世界的な歌手の先生は必ずしも名教師ばかりではなく、ほとんど独学で世界的な実力をつけた人も多く、何とも言えません。発声法も人によってそれぞれであり、できそうなことは、そのままでは喉を壊しそうな人に対して「だめ」というくらいなのではないかという気が最近はしています。

有名な指揮者のセルジュ・チェリビダッケは、厳しいリハーサルで知られます。あるインタビューで「リハーサルでは無数のノーが繰り返される。速すぎる、遅すぎる、高すぎる、低すぎる、だめだ、だめだ、の繰り返しだ。本番だけがイエスだ。」と言っています。

できればトレーナーは、全否定の存在でありたいと思っています。発声から入る教師が多いと思いますが、できれば私はいきなりアカペラで曲を歌ってほしいと思っています。曲を歌う(ナレーションをする、etc)が実際にアーティストとしての目標だからです。そして、ブレスがダメ、響きがダメ、音質がダメ、リズムがダメ、とダメ出しのオンパレードをしたい。どんなレベルの人が来ても、ダメ出しのオンパレードができる教師でありたいと思っています、芸術は深いのですから。

ところがダメ出しのオンパレードでは人がいなくなってしまうので、サービス精神を発揮してしまうのです。トレーナーが、あなたにとって厳しすぎる、と思うときそのレッスンはうまくいっているのです。またトレーナーとの人間としての相性もあります。人間としての相性が悪いほうが、音楽を習うにはいい気がします。なんとなく感じる居心地の悪さが、よい化学反応となることが多いようです。(♭∴)

今日のトレーナーのメッセージ

喉が下がってきて、高音域が出始めましたね。高音域の前で喉がしっかりと開くと高音のアプローチが楽です。mやbなどの唇を閉じる子音でも口腔は、前の母音の形をなるべく維持しましょう。(♭Σ)

緊急事態宣言の対処について

現時点では、前回(2020.04.20)と同様の対処とします。

研究所としては、オンラインレッスンも含め、できる限りの対策をした上で、通常の活動を持続するつもりです。

研究所で実施している新型コロナウイルス対策 | ブレスヴォイストレーニング研究所

芸事の習い方

芸事は人から習う必要があります。なぜその必要があるのか、学校教育との対比から考えてみましょう。

確かに学校教育も人から習いますね。「教師」という職業の人たちがいて、教えることを職業にしています。しかしAIやインターネットの普及とともに教師の仕事は必要なくなるのではないかといわれています。実際北欧のある国では、自分でパソコン教材を進め、教師の代わりにインストラクターやコーチという名称の人が配置されているそうです。 実は勉強は一人で本を読めばできるし、その方が効率がよいことも多いです。

さて、学校教育で「独学」が可能なのはどこまででしょうか。高校を卒業して大学に入ります。大学レベルの教育は人に習わなければならないのではないか。いえ、実は大学に教師はいません。「え、教授がいるのでは」とお思いでしょうが、大学の教員は一人も残らず、100パーセント、研究者としての論文執筆の業績のみで雇われているのです。だから授業は下手くそでも構わないし、授業をしない教授もいるし、授業は「人の貴重な研究の時間をとりやがって!」と内心怒りに震えて行われているのです。大学特有の大人数講義、独特の緩い単位認定はこの理由でしょう。

しかしその先、大学院に進学して研究者になろうとするときには、指導が必要です。大学院では、密な少人数教育になります。教授の専門分野をまさに徒弟制度でディスカッションしながら習うのです。(近頃「考える力」をはぐくむ教育改革が叫ばれていますが、知識を入れる勉強を突き詰めてもどこかで少人数セミナー形式に行きつくのでそれを幼い時からやることに教育効果がどれだけあるかは疑問です。)本に書いてあることをわかるまでのレベルは、一人でやっておけよ、ということです。私は個人的には教えることで人の時間をとるのはこの「大学院レベル」の教育にしか必要ないと考えています。レッスンでもそうあった方がお互いのためによいと思います。(♭∴)

自分の扱い方を知る

ヴォイストレーニングは自分自身という楽器を作ることと、演奏のテクニックを身に着けることの両方が必要となる分野だと思います。他の楽器であれば、一部オーダーメイドのものもありますが、ほとんどの場合は楽器屋さんへ行けば、おおよそ完成されたものが売っています。その点が、ほかの楽器と比べて最も異なる部分だと思いますし、だからこそ、わかりにくい分野だと思います。特に、生まれてから今まであたりまえのように使ってきた声を見直し、新たな手法によって、楽器として使えるための扱い方を得ていくので、見えない部分、わかりにくい部分の方が圧倒的に多いと思います。そのため、不安になることも多いと思います。その中で、自分自身をうまく操る方法を手に入れられたとしたら、有意義ではないでしょうか。

ヴォイストレーニングのテクニックにおいて、全員が全員「こうしなければならない」というものは少ないと思います。テクニックにおいて、おおよその目安はあるにしても、それぞれの楽器、そして、それは生まれ持った人間に備わっているものですから、十人十色だと思います。その中で、自分自身が発声しやすい状況を、自分にわかりやすい感覚で見つけていくことができれば、きっと、それがその人において制御の部分では大事な要素になると思います。トレーニングの中で、それぞれの実情やキャラクターに合った、わかりやすい制御方法を一緒に見つけて、自身をうまくコントロールすることに役立てていただきたいと思います。(♭Я)

 

自分のやるべきことを整理して考える

レーニングの過程では、メニュの中で、どうしても両立が難しい部分というのが出てくると思います。それを両立させなくては、その先の課題へ進めないという場合もあります。このような場合、トレーニングを行っている側からすれば、どうすればいいのかパニックになることもあるかもしれません。そんな時にどのようにして乗り越えていけばいいのか考えてみたいと思います。

まずは、「最優先課題は何なのか」ということです。今、最も重要に行わなければならないことが何かということを心得ておけば、大きく脱線することはないと思います。次に「最優先課題を維持しつつ、次への課題へつなげていけるか」ということです。そのためには、やはり、最優先課題について、いかに慣れるかということがとても重要だと思います。このように順序だてて考え、取り組むことができれば、自分の課題を明確に持つことができ、パニックになることも抑制できると思います。

自分自身の成長がなかなか実感できないという人がいたとしたら、最優先課題にどれだけ向き合えているかを考えてみてください。実はやっているつもりで、ほかのことに意識が向いている場合があります。ゆるぎないテクニックを身につけるために、自分自身と向き合い、課題とどのように向き合っていくかを考えれば、おのずと道は開けてくると思います。(♭Я)

「鬼滅の刃」吾峠呼世晴

命に執着して鬼になってしまう人と命を投げ捨て人を守る鬼殺隊の子供たちの話。画風もアクションシーンの筆遣いも力強く、物語に凄惨なシーンが多いので作者が女性と聞いて驚きました。アニメや映画しか見ていない方にはぜひ原作を読んで頂きたい一作です。